「被告の思い込みによって事件が起き、断腸の思いです」。社員36人の命を奪われた京都アニメーションの社長が、ふり絞るような声で、そう述べた。青葉被告は弁護側の席で、その様子を無表情に見つめていた。法廷ドキュメント第14弾。

団地の一室から始まった 京アニの創業秘話

京都アニメーション放火殺人事件の裁判は、10月2日に11回目を迎えた。この日は証人尋問で、京アニの八田英明社長が検察側の証人として出廷した。八田社長はまず、1981年に京アニを設立した経緯や背景を説明した。

最初は、現在のような社屋があるわけではなく、八田社長が住んでいた宇治市内の団地の一室から始まったという。当時のアニメ業界は、アニメーションの知名度が世間に少しずつ上がってきて、「活気めいてきた時期」だった。当時のアニメ制作はやはり東京が主流だったが、「モノづくりの街」ということで京都を選んだという。

当初は「色付け」などの下請け業務が多かったものの、徐々に社員が増えていった。そして1991年ごろ、京アニにとって転機が訪れたという。

「会社にとって人は?」八田社長「宝です」

検察官「会社に人材で転機が訪れたことがありましたか」
八田社長「はい。感謝しても感謝しきれない。平成3年ごろと記憶していますが、木上益治くんが入社してくれたことが非常に大きかった。木上くんは東京でも天才的なクリエイターでした」

木上益治さん。事件で犠牲になった61歳のベテランアニメーターだった。映画『ドラえもん』シリーズや『火垂るの墓』、『AKIRA』といった数々の名作の原画に携わる、まさに「天才」だった。

検察官「木上さんの入社で変化がありましたか」
八田社長「絵の描き方から仕事の仕方から、みんな真似をしていきました。木上くんの背中を見て、生え抜きの社員らが育っていき、会社に浸透して伝承されていきました」

そして1999年ごろ、初めてのオリジナル作品「MUNTO」を制作。ちょうどこの頃、有限会社から株式会社へと組織変更もした。軌道に乗り始めた時期だった。

八田社長「(京アニは)とても真面目な人ばかりで。一生懸命、1つ1つに愛情を持って作品を作る。丁寧で、みんなが打ち合わせをして、その通りにこなしていました」
検察官「会社にとって、『人』はどういう存在ですか」
八田社長「クリエイターの世界にとって、どの世界でも一緒ですが、『人は宝』です」

2007年ごろ、事件が起きた第1スタジオが完成した。アニメの全工程をこなせる「旗艦」として位置づけられたスタジオだったという。孤独な作業が中心となるアニメーターたち。少しでも目に優しいようにと、床や壁には「木材」を用いたという。

また、第1スタジオは、「全て法令に準じて作った」とも説明し、弁護側が初公判で主張していた「多数の犠牲の背景には建物構造が影響した可能性がある」との指摘を切り捨てた。

「スタジオ前で遺体が運ばれる様子をただ見ているしかなかった」

「火事です」。スタジオから火が出ていることを知ったのは、関係者からの電話だったという。「ボヤかと思った」そうだが、駆けつけると、変わり果てたスタジオの姿が目に飛び込んできた。

検察官「スタジオには近づけましたか」
八田社長「もう、ほとんど無理でした。上を見れば延々と煙が。いつも通る側道があるんですが、そこの隅っこに社員が横たわっていたり、座っていたり。人によっては血を流している人もいました。『どうしたんだ』と声をかけました」。

検察官「返答はありましたか」
八田社長「なかったです」
検察官「その後は?」
八田社長「規制線の付近で、ずっと見ているしかなかったです」
検察官「その時は何を思っていましたか」
八田社長「『なんでみんな出て来ないんだ』と」

事件のあと「みんな涙をこらえて(アニメを)作り続けた」

検察官「誰か出てきましたか」
八田社長「全然でしたね…全然でした。時が経つに従って、1人ずつ、ご遺体が搬出されていきました。ずっと見ていました。『誰か元気な人が出て来ないのか』と思って」

時折涙ぐみ、言葉を詰まらせながらも語った八田社長。法廷にいた遺族や関係者からも、泣いているような様子が見られた。犠牲になったのは社員の実に2割。ひと月に2本作っていた作品は「1本作るのが精一杯になった」という。売り上げも半分以下になったというが、それでも「みんな涙をこらえて作り続けた」と明かした。

犠牲となった社員36人は、北は北海道、南は鹿児島、全国各地から京アニで働くことを夢見て集まった優秀な人材だったという。八田社長はそんな部下たちについて、「将来について夢を持つ人ばっかりでした。『よく集まってくれたな』と思います」と言葉をかけた。そして、大切な仲間を奪った青葉被告への思いを尋ねられると、はっきりとした口調で話した。

「当社は、人さまのアイデアを盗む会社ではありません。被告の思い込みによって事件が起きて断腸の思いです。日本の司法制度で、ちゃんとした判決が出ることをひたすら信じています。」