“成人式の写真が最後になった” “遺体は殺意の痕だらけだった” “思い出を生きる力に変えなければ”

胸が張り裂けそうになる遺族の陳述が、法廷に響いた。将来ある20歳の女子大学生が、元交際相手の男に殺害された事件。男は法廷で謝罪の言葉を口にはしたが、事件当時のことは覚えていないという旨の供述に終始した。

検察は「憐憫の情すら感じられない残酷な犯行」と、懲役20年を求刑した。

事件直前に交際を解消も… 再び被害者宅を訪れ感情が爆発か

山本巧次郎被告(24)は、2022年8月に堺市西区で、元交際相手の大田夏瑚さん(当時20)を殺害した罪に問われている。事件直後の供述や、目撃情報、遺体の状況から考えられている、事件の構図は次の通りだ。

2020年から交際・同棲していた山本被告と大田さん。しかし事件の1週間前、大田さんが別の男性と外泊したことをきっかけに、2人は交際関係を解消した。別れは山本被告から切り出した。

けれども事件当日、山本被告が復縁を求める。携帯電話の履歴によれば、被告が大田さんに「位置情報変えてたら許さないからね!」「会いたいよ」などとメッセージを送り、大田さんは「別れてるんやからそんなこと言わないで!」と返信している。

その日の夜、“置いていたスーツを取りに行く”という名目で、大田さんの自宅(集合住宅4階)を訪れた被告。そこで感情が爆発し、キッチンにあった包丁で、大田さんの両脚を10か所以上切りつけ、さらに右わき腹を刺した。逃れようとした大田さんはベランダから飛び降り、路上で息も絶え絶えの状態だったが、周囲に助けを求めた。

しかし階段を駆け下りた山本被告が、倒れていた大田さんに馬乗りになり、包丁で胸を複数回刺した。刺し傷は心臓や肺に達し、大田さんはその場で失血死した。

目撃者は法廷で、「救急車を呼ぼうとした際、振り返ったら被告が走ってきた。走ったままの勢いで、乗りかかるようにして被害者を刺した」と、当時の緊迫した状況を証言している。

女性の母「遺体を優しく抱きしめることしかできず…」「明日が来ることを疑わず、夢に向かって邁進していた」

2月5日の裁判で、殺害された大田夏瑚さん(当時20)の遺族が意見陳述を行った。まずは母親が陳述し、涙をこらえながらも、言葉をつないだ。

大田夏瑚さんの母親
「大切に育ててきた娘の命、未来を、奪われた無念を伝えたくて、この場で証言します」
「娘は小さい時から、優しい子でした。娘が抱いた夢は、放射線技師になることです。人の命を助けたいと、中学生の時から目指していました」
「成人式の日のことです。自宅の庭で、『記念にママと一緒に撮りたい』と言って、写真を撮ってくれました。これが最後の写真となりました」

「安置所で布をめくって遺体を確認するよう言われましたが、刑事さんに布を取ってもらいました。やつれた顔をなで、優しく抱きしめることしかできませんでした」
「体中にある刺し傷を見ました。胸には何か所も大きな刺し傷がありました。大きな穴のようでした。“殺意の痕” だらけでした」
「顔の表情は、恐怖、苦痛、無念、さびしさ、後悔…それらすべての感情を物語っていました。あんな人の表情を見たことがありません」

「娘はあの日からずっと、『どうして私が殺されたの?』と言っていると思います。明日が来ることに疑いもなく、夢に向かって邁進していたと思います」
「私の願いはただひとつ、笑顔で可愛い娘を返してほしいです」

悲痛な陳述に、傍聴席からすすり泣く声が漏れた。

妹「母と抱き合い泣き続けた」「実家に帰ってきたのは、小さくなり骨壺に入った姿…」

続いて妹も陳述した。最初は嗚咽でなかなか言葉が出てこなかったが、それでも言葉を振りしぼった。

大田夏瑚さんの妹
「とてもつらくて耐えることができるか分かりませんが、大好きなお姉ちゃんのために、私ができることはどんなことでもしようと思い、この場に立つことを決意しました」
「事件の翌日、遺体安置所にいる姉と対面しました。母と抱き合って泣き続けました」
「9月にはお姉ちゃんは、実家に帰ってくる予定でした。可愛いカフェに一緒に行く予定でした。帰ってきたのは、小さくなって骨壺に入った姿でした」
「お姉ちゃんとの思い出はたくさんあります。思い出を生きる力に変えなければと、毎日苦しみながら頑張っています」

「被告は、怖がっているお姉ちゃんを見て、ハッと我に返ることもできたと思います。階段を駆け下りている時に、思いとどまることもできたはずです。人の命、お姉ちゃんの命を、何だと思っているのでしょうか」
「何ひとつお姉ちゃんと一緒にできない怒りを、どこにぶつければいいのでしょうか。生きることがこんなにつらいと思っていませんでした。大切な、大切な、私のお姉ちゃんを返してください」

無慈悲な凶刃によって、家族の幸せが粉々に砕け散ったことを、改めて痛感する。
“思い出を生きる力に変えなければ…”という言葉に、胸が張り裂けそうになった。

裁判では一転  被告 “被害者宅に行ったことも覚えていない”

事件直後、山本被告は「人を殺しました」「(殺したのは)元カノです」「捕まえてください、待ってます」と自ら110番通報。確保後の取り調べでは、「5回くらい刺しました」「こんなんで離れるくらいやったら死んで、俺ももうおらんくなった方が」「(大田さんが)窓開けて、走って飛び降りました」と供述していた。

しかし裁判では一転。山本被告は「僕のしたことは間違いない」と起訴事実を認めたが、大田さんを殺害したこと、さらには大田さん宅を訪れたこと自体を「覚えていない」と供述。自ら通報したこと、取り調べで話したことも、記憶にないという。

裁判員「覚えていないのに、どう反省するんですか?」

結審を前に行われた2回目の被告人質問。山本被告はここで初めて “謝罪の言葉” を口にした。

検察官「裁判で、あなたがしたことを見たり聞いたりしてどう思う?」
被告 「本当にめちゃくちゃ怖い思いを部屋の中でもさせたし、逃げても追われるという、すごく怖い思いをさせてしまった」
検察官「いま被害者に言いたいことは?」
被告 「ごめんなさいと伝えたいです」

弁護人「ご遺族に(手紙などで)謝罪をしていないのはなぜ?」
被告 「手紙を送ることで、謝罪の気持ちを伝えることはできると思ったんですけど、送っていいのかどうか…」
弁護人「どうやってつぐなっていく?」
被告 「毎日謝罪をしたいのと、命日には黙とうをささげたいと思います」

裁判官や裁判員からも、鋭い質問が飛ぶ。

裁判官「覚えていないということですが、思い出そうと努力はしましたか?」
被告 「それはしました。資料を見たり、質問を通じて思い出そうとしたりした」
裁判官「でも思い出せなかった?」
被告 「はい」

裁判員「覚えていないのに、どう反省するんですか?」
被告 「覚えてるか覚えてないかは、関係ないですし…」

山本被告は “手紙を書くには書いたが、覚えていないことが多すぎて、これでは謝罪にならないと思った” という旨の供述もした。

「憐憫(れんびん)の情すら感じさせない残酷な犯行」懲役20年を求刑

検察側は論告で、「被害者が別の男性と外泊したことや、復縁を拒まれたことへの怒りから殺意を抱いた経緯は、通常心理として了解できる」「犯行後の通報や取り調べでも、自らの行動の意味などを理解し説明できている」として、事件当時の山本被告に刑事責任能力があったのは明白だと主張。

「動機は自己中心的で身勝手」「瀕死の状態で周りに助けを求める被害者に対し、馬乗りになり胸部を刺すという、憐憫(れんびん)の情すら感じさせない残酷な犯行」と糾弾し、懲役20年を求刑した。

一方で弁護側は最終弁論で、裁判所が選任した医師による精神鑑定の結果に基づき、「被告は事件当時、『非定型精神病』の圧倒的影響下にあった。刑事責任能力は認められない」「錯乱状態で殺意もなかった」として、改めて無罪を主張した。

この鑑定結果をめぐっては、別の精神科医が真逆の見解を表明。「当時、精神障害はなく、“自己中心的な嫉妬殺人”だったのが実態だ」とする意見書を提出している。

山本巧次郎被告の最終陳述は、次の通りだった。

裁判長「最後に言っておきたいことがあれば、述べてください」
被告 「本当に取り返しのつかない大きなことをしたと思っています。本当に申し訳ございませんでした」

判決は2月13日、大阪地裁堺支部で言い渡される。

(MBS大阪司法担当  松本陸)