高さが4mを超える“日本最大の木彫りの地蔵菩薩”。32年の時を経てよみがえりました。実は、この大仏には特殊な“生い立ち”が…。お披露目までの様子を取材しました。

「すごく優しいお顔」32年の時を経てよみがえった地蔵菩薩

 大阪市天王寺区にある藤次寺(とうじじ)。「大阪の融通さん」という愛称で親しまれてきたこのお寺は、今年で開創1200年を迎えます。1月15日、新たに迎え入れられた大仏のお披露目が行われました。

 (参拝者)「大きくて、でもすごく優しいお顔で、気持ちが落ち着く感じです」
 (参拝者)「お参りさせていただけてよかったと思います」

 「地蔵菩薩像」。座高が4mを超える日本一大きい木彫の地蔵菩薩像です。この大仏には、ある秘密がありました。
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 (藤次寺 桑原年弘住職)「実は地蔵大仏様は32年前、平成3年(1991年)の3月に完成した大仏様でございます。32年間、さみしそうなお姿で倉庫の中で眠らざるを得ない状況でございました」
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 もともとは別のお寺で迎える予定だったこの大仏。1991年に完成しましたが、お寺の事情で計画が白紙に。ばらばらになった状態で32年もの間、倉庫に眠っていたのです。
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 そして、32年ぶりにこの地蔵菩薩をよみがえらせるのは、仏像彫刻師の松本明観さん(56)。運慶・快慶の流れを汲む「慶派」の仏師で、優れた仏像彫刻師の証である「大仏師」の称号を持っています。

顔を描く「彩色」 表情を見ながらミリ単位で調整

 去年12月1日、京都の山奥、大原野にある工房には朝早くから弟子たちが集まっていました。
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 この日は、顔を描く「彩色」を行います。時を経て大仏の顔に命が吹き込まれる瞬間。任されたのは彩色部の岩田明彩さん。明観さんから絶大な信頼を得ている彩色職人です。
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 作業中、明観さんは明彩さんに、左目の瞳の位置をずらす指示を出しました。大仏は見る角度によって表情が変わるといいます。お堂に入った状態を想定して、筆を入れては様々な角度から大仏の表情を確認。ミリ単位の地道な作業が続きます。

32年前にこの地蔵菩薩を手がけた父も現場に

 そして午後、ある男性が工房を訪れました。穏やかな現場に、にわかに緊張が走ります。明観さんの師匠であり父である松本明慶さん(78)です。

 (明慶さん)「(目に)ブルーはやっぱり入れてあげたら若く見えるよな。入れてみる?ここでもう」
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 短くも的確な指示。青色を入れたことで表情に力強さが生まれました。

 (明慶さん)「眉毛が弱いな、ちょっとな」
 (明彩さん)「眉毛もうちょっと太いほうがいいですか?」
 (明慶さん)「上でやらんと下で伸ばしてもらわなあかんわな」
 
 明慶さんは人呼んで「平成の大仏師」。仏像彫刻師の世界で“100年に1人の天才”と言われています。
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 (松本明観さん)「今できるベストは尽くしたいですよね」

 明観さんがこう意気込むのには理由がありました。実はこの地蔵菩薩、32年前に手がけたのが父・明慶さんでした。
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 彩色が終わり、明慶さんから受け継いだ地蔵菩薩に命が吹き込まれました。

 (明慶さん)「ええ感じええ感じ。やさしなったね」

部位ごとに慎重に積み込み…いざ寺に引っ越し

 明慶工房は大仏の引っ越しも自分たちで行うといいます。12月6日、15人以上の弟子たちがゆっくりと慎重に大仏の体を持ち上げて、トラックにのせていきます。
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 (明観さん)「2、3cm浮かしで、5cm~10cmずつスライドさせて、前に」
 (弟子たち)「(運びながら)あぶないあぶない!」
 (明観さん)「なあ、なあ、言うたとおりにせえや」

 大仏に傷が付かないように毛布を使って十分保護します。
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 続いて、顔も運んでいきます。顔は、胴体や膝と比べて軽い一方で持ちにくく、気が抜けません。トラックに積み込んだらいざ、藤次寺へ出発です。
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 (松本明観さん)「今回まだ大阪で場所が近いんでね、楽です」

 京都から日本全国どこへでも、自分たちで仏像を運ぶといいます。

順番に組み立て…ついに地蔵菩薩の姿が

 車を走らせること約1時間。のべ4台のトラックを使った引っ越しが完了。しかし、すぐに搬入というわけにはいきません。まずはお堂に大仏を吊り上げるための電動ウィンチを設置します。
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 そして、いざ搬入。境内には木が植えてあり、その間を縫ってお堂まで運びます。

 (明観さん)「背中側大丈夫?」
 (弟子)「こっち寄りすぎです。木当たります」
 (明観さん)「こっちって言われてもわからへんやんけ!」
 (弟子)「前!前が危ない」
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 胴体と両肩が運び込まれ、だんだん形が見えてきました。最後は顔です。「たとえ回り道になっても顔は山門からお入りいただきたい」という思いがあります。電動ウィンチで引っ張りあげられた顔を弟子たちが体におさめていきます。ばらばらだった体が組み立てられ、地蔵菩薩がその姿をあらわしました。

 完成の知らせを聞き、明慶さんも藤次寺に駆けつけます。ついに顔のお披露目です。
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 日本で最も大きな木彫の地蔵菩薩。32年の時を経てよみがえりました。この光景に明慶さんは、ただ静かに手をあわせました。
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 (松本明観さん)「迎え入れてもらえるところにおさまっていただくのは、仏師冥利につきる幸せですし、ときどき会いに来させてもらいたいなと思います」

能登半島地震の被災者「お優しいお顔で包まれる感じがした」

 そして、年が明け1月15日。新たにお迎えした地蔵菩薩がお披露目されました。真剣な表情で祈りを捧げる女性がいます。
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 (参拝者)「地震の時、私は金沢市内にいたんですけれども、地面が海のような感じになった。1日に金沢にいてから、ずっともやもやした気持ちというか、気持ちが落ち着かないというか、それが続いているんですね」

 1月1日の能登半島地震で被災。不安な気持ちを抱えていました。

 (参拝者)「お優しいお顔で、なんか包まれる感じがしました。きょうが最初のお参りができてゆっくりと手を合わさせていただいた日なので、大切な日になりました」

 32年ぶりによみがえった地蔵菩薩。そのあたたかな眼差しで人々の心を癒し、見守っているようです。