阪神・淡路大震災から29年となった1月17日、追悼行事「1.17のつどい」が行われた神戸市中央区の東遊園地では、地震が発生した午前5時46分に黙とうが捧げられました。今年、灯籠がかたどる文字は「ともに」。29年前の思いや経験をどう伝えていくか、そして今年1月1日に発生した能登半島地震の被災地へ寄り添う人々を取材しました。

「元気してたかな?と思いを込めてろうそくに点火」

 今年トランペットが奏でたのは童謡の「どこかで春が」。29年前も、今年の能登半島地震も、寒さが厳しい冬に発生。『必ず春は来る。日本が1つになって被災地を支援しよう』という願いが込められています。

 (友人を亡くした人 50代)「1.17って特別な日なんですよ、私にとって。友達とか何人も亡くなっているので、そういう思いをろうそくに込めて点火して、どうやった?元気してたかな?とか思いを込めてやっている感じですね」
 (大学生の長男を亡くした人 70代)「関学に息子がいたんです。下宿の1階が潰れて命を落としました。一番心に残っているのは、よく本を読む子でした。おかん、これ読み、これはええで、と言ってくれましたし。3人兄弟の長男でしたからね。弟は『兄はヒーローだった』と言って泣きました。本当に生きてくれていたら、どれだけ頼りになってくれたかと思います」

 震災を知らない18歳の孫も今年初めて現地に来ました。

 (孫)「すごく大事な人を亡くすっていうのがどれだけつらいかを今の年齢になったら理解できるようになって、一緒に思いをよせたいなと思って来ました」

 (幼なじみを亡くした人 50代)「知り合いが神戸にいたんですけど亡くなられたんです。幼なじみの子なんですけどね。もっと会っておけばよかったかなと。やっぱりあとの後悔ですけどね。助かってほしかったですね。1回また飲みに行きたかったかなという思いがありますね。だんだん忘れられていっているという、29年目ということで。でも忘れてはいけないことかなと思って」

 東遊園地の灯籠がかたどった「ともに」の文字。能登半島地震で被災した人たちに寄り添いながら、若い世代とともに災害の経験や教訓を語り継いでいこう、という決意が込められています。

震災を経験して29年 能登半島地震の被災地で任務にあたった隊員

 元日に起きた能登半島地震には、神戸からも多くの人が救援に向かいました。そのうちの1人である神戸市消防局・航空機動隊の山田俊介司令補(36)。自身も阪神・淡路大震災の被災者でした。

 (神戸市消防局・航空機動隊 山田俊介司令補)「私自身も震災のつらさ悲しさを経験しています。そういう思いがありましたので、被災者の方の力になれるよう全力を尽くしたいという思いで被災地に向かいました」

 1月11日から14日の間、能登地方に入り、ヘリコプターで孤立集落への物資搬入などの任務にあたりました。

 (神戸市消防局・航空機動隊 山田俊介司令補)「実際に頑張っていらっしゃる方に『頑張ってください』と言っていいのかなと感じたんですが、私自身も震災を経験しておりまして、誰かに頑張ってくれと言われたときに頑張れるんじゃないのかと感じたので、頑張りましょうと伝えました」

石川県輪島市から来た人「避難所でボランティアの方が何回も炊き出しを…」

 東遊園地には能登半島地震で被災した人も。避難所での生活で神戸などからの支援に助けられたといいます。

 (能登半島地震で被災した柴田剛さん 67歳)「石川県の輪島市から来ました。(Qどういった状況?)全壊です。私は避難所にいたんですけど、ボランティアの方が炊き出しで、私の地区に4~5か所避難所があるんですけど、そこへ何回も何回も炊き出しをしていただいたんです。1.17の団体から寄付もいただいて。それで感謝の気持ちで来ました」

 避難生活を続ける中、震災からの復旧や復興を学びたいと考えています。

 (能登半島地震で被災した柴田剛さん)「震災があって29年も続けていけるって、いったい背景に何があるのだろうと。自分の目で見て、自分の言葉でこれを持って帰って、能登の復旧・復興に何か手助けできればいいなと思って」

 「ともに」寄り添い助け合うことがいま求められています。