神戸市長田区に住む柴田大輔さん(36)。飲食店を営むかたわら、月に2回程度地元の消防団の活動を続けています。

 柴田さんは29年前の1月17日、2人の弟を亡くしました。被災当時、小学1年だった柴田さんはアパートの1階で両親と弟2人の家族5人で寝ていました。そして、午前5時46分。

 (柴田大輔さん)「揺れた瞬間に突き上げられて。その瞬間に2階が落ちてきたので。天井が落ちてきたから、上から畳とかが降ってくるのが見えたので。もうパってみたらもう下敷き状態」

 柴田さんと両親は火の手が迫る中、何とか助け出されましたが、弟の3歳の宏亮ちゃんと1歳の知幸ちゃんは助からず変わり果てた姿で見つかりました。

 (柴田大輔さん)「1番下の弟は骨の状態で出てきたから何もなく、何の面影もなく出てきた。ただ、真ん中の3歳の次男が顔が半分だけ残っとったんで。それを観た瞬間にもうそこから僕…パニックになったのか分からないですけど、そこからの記憶があまりないんですよね」

地震のトラウマで一時自宅に引きこもりるように…その後消防団へ

 自宅にあった物は火事でほとんどが焼け、見つかったのはこの4枚の写真だけです。もし、再び地震が起きたら…そんなトラウマから柴田さんは一時自宅に引きこもるようになってしまいます。しかし、地域の人やボランティアが声をかけ続けてくれたことで前を向けるようになりました。18歳の時、『次は自分が地域の人の力になりたい』と消防団に入団しました。
5.jpg
 (柴田大輔さん)「火事の匂いがするとやっぱり震災の時のにおいと一緒なので恐怖にはなるんですけど、ただ自分もそこで助かった命が自分自身もあるので。色々な方に助けてもらった。『次は自分がやる番やな』っていう思いがあったから」

 消防団は普段、仕事をしながらボランティアとして防災パトロールなどを行い、災害時は消火や救助活動を行う団体です。阪神・淡路大震災でも道路が分断され、消防隊が駆け付けられない中、活躍しました。震災当時から消防団員を続ける高橋利明さんもそのひとりです。

 (震災当時も長田消防団に所属していた高橋利明さん)「近所はだいたい分かりますから、私がおったはずやって思ったらそこを追いかけて。みんなに声をかけて。でも、避難しているかも分かりませんので、近所の人に聞いてっていう形ですね」

高齢化と若者不足で団員数が減少

 しかし、高齢化と若者不足を背景に全国的に団員数は減り続けていて、柴田さんの消防団でも最も多かった18人から今年は10人ほどに減る見込みです。柴田さんは災害時に地域の支えとなる消防団の存在を絶やしてはいけないといいます。

 (柴田大輔さん)「消防団そもそもがあまり知られていないから。地域の人に声をかけて、消防団入ってもらえますかっていって、声掛けをして何とか持続させないと」

絶やさぬため勧誘活動を精力的に

 この日、柴田さんは消防団の詰所である若者と待ち合わせていました。藤原祐弥さん(21)、柴田さんと同じ長田区出身で若者らでつくる震災語り部団体の代表を務めています。柴田さんも語り部活動をしていて、およそ1年前から交流がありましたが、消防団に入ってもらえないかと初めて、声をかけました。

 (柴田大輔さん)「地元一緒やなと思って。消防団に誘いたいなってずっと思っていて喋りたかったけど、あまり時間がなかった」

 (藤原祐弥さん)「一番火災がひどかった神戸の長田の町で生まれ育って、高校入ってからも震災学習っていうのを続けていて。ボランティア活動、震災関連のボランティア活動をしたいなと思って」

 (柴田大輔さん)「自分もそうやねん。ボランティアをしたいという気持ちがめっちゃあって。地域を守れるって聞いたから『これやったら入りたい』と思って」

 (藤原祐弥さん)「僕でよければっていうのはあるんですけど。確定はまた追ってっていう感じですね。ありがとうございます」

 (柴田大輔さん)「消防団を活性化して、盛り上げていく。それが一番の僕の思いです」「安心できる消防団にして引き継いでいきたい」

 災害時、多くの命を救う消防団。これからも地域の力として受け継がれていきます。