能登半島地震の発生から12日目。道路が寸断され、320人が孤立状態(11日午後2時時点)にある石川県輪島市の鵠巣(こうのす)地区では、電気もガスも水道も止まっています。現地の厳しい現状を取材しました。

 12日、取材班が向かったのは、輪島市・鵠巣地区の避難所です。

 (河田直也アナウンサー 12日午前)「輪島市の中心部から国道249号を東に走っています。この先に鵠巣地区というエリアがありまして、そこが孤立しているということです」

 車を走らせること約10分。

 (河田アナウンサー)「前方に山がありますね。左側の斜面が崩れてしまっています。…道路がこの先続いていないですね。寸断されています」

 この先は歩いて鵠巣地区へ向かいます。孤立集落に通じるルートは、“迂回路”となる海沿いの道だけ。車の通行ができないため、支援物資の搬送などはこの道を自衛隊と地元住民らがバケツリレー方式で行っていました。

 途中、ぬかるんだ道や急な斜面の道を通り、鵠巣地区に到着しました。いまだ320人が避難生活を送っているこの地区では、いまも電気・ガス・水道などインフラは全て止まったままです。

 (河田アナウンサー)「給水用のトラックも入ってくることができませんから、それは大変ですよね。湧き水を使っているんですね」
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 水が出ている場所でひげを剃っていた住民に話を聞きました。

 (住民)「(Qこの水を使ってひげ剃りを?)顔洗ったりひげ剃ったり。道もがたがたやし家も潰れないと思うけど立っているだけの状態」

 多くの住民がトイレや洗い物などの生活用水に井戸水や雨水などを利用しています。

 (住民)「(Qパイプから水が出ているが、地震のあとに設置した?)そうです。電気も水もガスも止まっています。早く道が開通しないと買い物にも行けない」

 地震発生から12日目。自衛隊による支援物資の搬送も行われ食料などには困らなくなったといいます。しかし避難生活を送る人たちの疲労は限界に達しつつあります。

 鵠巣地区にある小学校ではいまも約180人が避難生活を送っています。地震発生後、突然孤立状態となり、市の職員などもいない中、地域の住民たちが中心となって避難所の運営を始めました。

 運営チームの1人、山下加南子さんに話を聞きました。

 (山下加南子さん)「今、発電機で電気を供給しているんですけど、これも地域の持っている方が貸してくださっています。地域の皆さんから借りたりとか、ひとりひとりができることを持ち寄れるものを結集して10日以上も生活できています」

 自衛隊から物資が届くようになったのは、地震の発生から3日後。それまでは自分たちで持ち寄ったもので過ごしてきました。

 (山下加南子さん)「(Qここにあるのは各地から届いた物資?)自衛隊さんが運んでくださった、皆さんからご支援しただいた物資と有志の団体さんからいただいたものもあります。箱にメッセージとかを書いてくださる方もいらっしゃって。こんな状況で気持ちも体力もギリギリなんですけど、こうやって『みんな応援してくれているんやな』って思ってがんばれます」

 しかし、ライフラインはすべて止まったまま。仮設トイレなどの搬入もできないため、自分たちで雨水をためたりしてトイレを流しているといいます。

 (山下加南子さん)「2週間近く避難が続いておりますから、皆さん軽度の体調不良、私もですけどせきが出てきたりお腹の調子が…という方が出てきているので、みんなで毎日声をかけあいながら『体調大丈夫ですか』と。(Q医師は?)今いないので困っています。本当に緊急性が高い場合には(自衛隊の)ヘリコプターを要請したりとか、陸送で土手を担架で運ばないといけない状況になっています」

 今も余震が続いているため、気持ち休まるときはないといいます。

 (山下加南子さん)「もう毎日毎日、生きるために必死になっていますので、そういった意味では前向くしかないような状況にあると思います。ただ、学校の時計って電気で動いているのか、震災当時の午後4時10分で全部止まっているんですよ。見やすいところに時計がありますから、『いま何時だっけ』と見るたびに『4時10分、ちゃうやん』と混乱してしまう。それ(時計)を見るたびに自分もあのときから一切何も変わってないんだなという現実をつきつけられていますね」