内閣府は、津波からの避難意識に関する住民アンケートの最新版をまとめた。WEB調査で全国から約3万件の回答が集まり、うち半分が「南海トラフ地震防災対策推進地域」(以降、南海トラフ推進地域)の住民の声だ。

 特徴的だったのは、南海トラフ推進地域の住民でも、「南海トラフ地震臨時情報」の認知度が29%にとどまっていることだ。(知っている28.7% 聞いたことはある35.5% 知らない35.8%)

 また臨時情報のうち、「巨大地震警戒」と「巨大地震注意」が発表された際の行動については、行動に”違いが見られない”結果となった。「次の地震、津波に備えて事前に避難する、と回答した人は警戒=24.2%、注意=25.9%)内閣府はアンケート結果を分析し、「名前は知っていても、取るべき行動につながりにくい傾向がある」と考察している。

 「非常に大事な情報なのに、あまりにも国民に知られていない!」と話すのは、地震や防災をテーマに約30年間取材を継続しているMBSのベテラン記者。臨時情報の”複雑さ”と、これほどまでに複雑になってしまった背景を解説した。

国民に広く知られていない「臨時情報」

 「臨時情報」は、次の南海トラフ地震に向けて、南海トラフ全域を対象に地震発生の可能性の高まりについて、気象庁が発表する情報のこと。この情報は、2019年すでに本格運用がはじまっていて、今日・明日に発表されてもおかしくない重要な防災情報です。ひとたび南海トラフ地震が起きれば、最悪の場合、死者は32万人に達し、被害総額は日本の国家予算の約2倍、220兆円を超えると予想されているにも関わらず、その被害を大きく軽減することができる「臨時情報」については、なぜ、知られていないのでしょうか。

 一因には、国をはじめ担当の省庁、自治体の広報活動と、メディアの報道活動が足りないことがあるとされます。しかし私は、臨時情報の仕組みそのものが「あまりに複雑で、国民が知ろうとする気すら起きない」ことも、要因のひとつではないかと考えています。

「通常と異なるゆっくりすべり」前提条件がもう難しい

 まず臨時情報が出される「前提条件」の段階で、その“難しさ”が漂います。「臨時情報」の第一段階は「調査中」という名称ですが、それが出るには、次の2つの現象のいずれかが起きることが前提条件となっています。

① 想定震源域またはその周辺で、M6.8以上の地震の発生
② 想定震源域のプレート境界面で通常とは異なるゆっくりすべりが発生した可能性

 特に②「通常とは異なるゆっくりすべり」。こう言われてすんなりとわかる人は、専門家以外でどれだけいるでしょうか。ちなみに気象庁は以下のように、説明しています。

 「“ゆっくりすべり”とは、ひずみ観測において捉えられる、従来から観測されている短期的ゆっくりすべりとは異なる、プレート境界におけるゆっくりすべりを意味する」

 いかがでしょうか。読めばますます思考の迷路に入ります。

次の段階で、さらに複雑な場合分け

 さて「調査中」の間に、最短2時間で以下の3つの事象のいずれかが起これば、いよいよ本番の「臨時情報」がだされます。ただし、「臨時情報」がでたからといっても、すぐに地震が起きない可能性もあることを十分に頭に入れておいてください。

① プレート境界のM8.0以上の地震発生
② M7.0以上の地震(前震)の発生
③ ゆっくりすべりの観測

 想定震源域内の東か西でM8クラスの巨大地震が発生した場合(①)は、いわゆる「半割れ」のケースで、臨時情報の『巨大地震警戒』が出ます。この場合、対象地域の人には「日頃からの地震への備えを再確認」「事前避難対象地域の住民は1週間の避難」などの指示が出されます。とはいえ、「次の地震」がいつ起きるのかはわかりません。過去には、32時間~2年後に発生した例もありますが、明確にはわからないのが現状です。

 さらに難しいのは、②と③のケース。この場合は、臨時情報の『巨大地震注意』が出され、対象地域の住民には、もっぱら、「日頃からの地震への備えを再確認」とだけ指示されます。住民らは、地震がいつ起きるのかわからない「不安な気持ち」を抱きながら、日常の生活を送ることになります。

地震が発生せず、2週間後「通常の生活」へ

 そして、「臨時情報」が出されてから2週間、次の地震が起きなければ、これらの措置は“解除”され、通常の生活に戻ることになります。しかし、その際には以下のような注意が発表されます。

 【地震の発生に注意しながら通常の生活を送る。ただし、大規模地震が起きる可能性がなくなったわけではないことに留意】

 つまり「巨大地震は今後、起きないかもしれないし、起きるかもしれない。住民のみなさまは注意して生活してください」という主旨なのです。ほんとうに臨時情報が”解除”されたのかどうか、多くの国民は、おそらく判断に迷うことになるでしょう。

専門家「空振りも多いのではないか」政府関係者「素振りだと思ってほしい」

 「臨時情報」の“やっかいさ”は、その仕組みだけではありません。先にも書きましたように、この情報は、同じような「前提条件」が発生すれば、南海トラフ地震が起きるまで何度でも出ることになります。専門家は「野球でいう空振り(=巨大地震が起きないケース)の結果に終わることも多いのではないか」と予想しています。

 南海トラフ地震の防災対策に詳しい名古屋大学の福和伸夫名誉教授は「半割れのケースで、過去の事例をみると、7日以内に次のM8クラス以上の地震発生するのは、十数回に一回程度で、当然、空振りはある。空振りが前提で、その情報を活用することで、被害を減らせるという理解が必要」と話します。

 一方、政府の関係者は、「空振り」を承知の上でこう話します。「『空振り』ととらえるのではなく『素振り』ととらえて、対応してほしい」。つまり「予行演習を繰り返すつもりでやってほしい」と・・・。

「予知できない」から始まった「臨時情報」

 そもそも、この臨時情報は、「地震予知はできない」と研究者らが判断したことから始まります。過去、日本では、研究者の間で地震の予知が可能だとされていた時期がありました。国は東海地震(駿河湾付近を震源とする南海トラフ地震の一部)について、予知を前提とした対策(「大震法」に基づく)を行ってきました。

 それが、1995年に阪神・淡路大震災が、2011年に東日本大震災が発生し、多くの犠牲者がでたことなどを受けて、国民から「予知研究」への批判の声などが噴出。研究者の間などでも様々な議論が巻き起こり、「地震予知はできない」という結論をださざるをえない状況となりました。

 しかし、日本に国難を及ぼす可能性が高い「南海トラフ地震」の発生が確実に迫ってきている中で、これまで地震予知研究などで培ってきた科学的知見を、少しでも防災・減災に引き続き役立てようと、考えられたのが、この「臨時情報」だったのです。地震の発生を事前に知る「予知」に代わって、地震の発生に結び付くかも知れない「前兆(=前震やゆっくりすべり等)」現象をとらえようという試みなのです。

 それ自体は評価できることですが、私たちはまた、当分の間、国の“小難しい施策”にお付き合いしなければならないようです。「臨時情報」の正体を正しく知ることは大事で、そして何よりも、地震はなんの前触れもなく、突然、起きることが多いことも、けっして忘れてはいけません。

◎太田尚志 元JNNマニラ支局長。阪神・淡路大震災で自身が被災して以来、地震・火山などの災害取材を継続。MBSラジオ「ネットワーク1・17」やJNN地震特番のプロデューサーなどを歴任。日本災害情報学会会員。

「南海トラフ地震~その時の備え~」(リーフレット)
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/nteq/leaflet_nteq.pdf

(詳細参照:内閣府防災情報のページ「南海トラフ地震臨時情報が発表されたら!
https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/rinji/index3.html)