1976年に設立された同志社大学の人力車サークル。新型コロナの影響などで今年3月に廃部になりましたが、11月26日に行われた学園祭「同志社EVE」で完全復活を果たしました。復活までの学生たちの奮闘に密着しました。

「絶やしてはいけない」人力車サークル復活に手を挙げた学生

 同志社大学4年生の田村優介さん(22)。同志社大学の人力車サークル「人力俥友之会」の第48代会長です。11月24日、学園祭に向けて打ち合わせをしていました。
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 (田村優介さん)「これ(チラシ)は一応『人力俥友之会』の紹介というか、学園祭は新入会員を増やすひとつの手段として我々は考えています」
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 47年前の1976年に誕生したこのサークル。人力車で全国を旅したりイベントでお客さんを乗せたりしていましたが、コロナ禍で部員を集めることができなくなり、今年3月に廃部になりました。そこで手を挙げたのが、廃部前に数回、人力車をひいたことがある田村さんでした。

 (田村優介さん)「お祭りでひいてみるとすごく楽しくて、この日本で唯一のサークルを絶やしてはいけないと感じていまして」
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 最初はたった1人でしたが、メンバーが5人に増えました。

 (メンバー)「乗せたお客さまに感謝をいただける瞬間が一番の喜びだと僕は思っていて、そこが一番の魅力かなと思っております」
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 (メンバー)「半年前の自分はまさか人力車サークルに4年生の今ごろから入るとは思っていなかったです」

廃部前の人力車を管理する初代会長のもとへ

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 11月8日、田村さんの姿は東京・浅草にありました。廃部前の人力車が奇跡的に残っていて、サークルの初代会長で人力車事業を営む藤原英則さん(68)が管理していました。

 (藤原さん)「みんなで大事に使ってください」
 (田村さん)「はい。ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
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 (初代会長 藤原英則さん)「伝統ある人力俥友之会の灯を消さない。ぜひこれを活用して頑張ってつないでいってほしい」

 代々受け継がれる法被を着て人力車を京都へと運びます。

 数日後、OBに教えてもらいながら運びやすいように分解した人力車を組み立てていきます。
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 「梶棒」というひき手が引っ張る棒を座席部分とつなぎ、座席を慎重に車輪の上にのせます。
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 最後に、乗る人を雨や風から守る「幌」をつけたら完成です。

 (田村優介さん)「東京から陸送をしてきて、やっと新たなスタート地点に立てたのかなというふうに今、実感しております」
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 田村さんは人力車サークルだけではなく陸上サークルにも所属。そのメンバーにも声を掛けて人力車サークルと兼務してもらっています。

 (田村優介さん)「(Q人力車と使う筋肉は同じ?)人力車はどっちかというと前なんですけど、陸上は短距離だと後ろなので、そこは違うかなと思います」

約25km歩いて…人力車を城陽市→京都市内の大学へ運ぶ

 学園祭前日の11月25日。人力車が置いてある京都府城陽市から京都市内の同志社大学まで約25km歩きます。人力車をひいて長い距離を歩くこともサークルの伝統です。

 (田村優介さん)「しんどさもありながら、みんなで一丸となって運ぶというのはすごく貴重な機会ですし、自分的にもすごく楽しい」
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 6時間ほどかけて同志社大学に到着です。

 (田村さん)「梶棒置いちゃっていいですか?」
 (他のメンバー)「置いちゃいましょう!」「お疲れ様です!」

 (田村優介さん)「何か月も前からEVE(学園祭)に向けて準備してきたというのもあるので、明日からもう一度気合いを入れて、頑張りたいなと思っています」

学園祭当日 待ちに待ったお客さんを乗せて出発!

 11月26日、迎えた学園祭当日。

 (メンバー)「人力車どうですか?人力車やっています!」

 行き交う人たちに声を掛けますが、なかなか1人目のお客さんが現れません。
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 (メンバー)「人力車やっています!ぜひ向こうで」
 (メンバー)「空いていたらぜひ遊びに来てください」
 (乗客)「行きます!」
 (メンバー)「行こう!みんな行こう!」
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 待ちに待った最初のお客さん。緊張の瞬間です。

 (田村さん)「じゃあ出発します!」
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 人力車がゆっくりと動き始めると…。

 (乗客)「すご!」「楽しいです!」
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 無事、1組目のお客さんを運び終えましたが、息つく間もなく2組目のお客さんがやってきます。この女性はSNSでサークルの復活を知り、わざわざ駆け付けました。

 (乗客)「1回廃部になっているところをイチからというのは、復活するまでがすごく大変やったと思うんですよね」 
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 走行の合間には車体のメンテナンスも欠かせません。

七五三帰りの“晴れ着姿”の子どもを乗せて…

 続いてやってきたのは華やかな服装を身にまとった兄弟。七五三のお参りの帰りなんだそうです。

 (田村さん)「東京から運んできて」
 (子ども)「東京から?」
 (田村さん)「うん、東京から」
 (メンバー)「楽しい?」
 (子ども)「うん!」「涼しい」
 (メンバー)「よかった」
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 晴れ着姿で人力車に乗る様子を家族が笑顔で撮影しました。

 (家族)「本当におつなもんだなと。思い出になってよかったなと思いますね」
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 サークルの復活を見ようと多くのOBも駆け付けました。

 (初代会長 藤原英則さん)「50年近く前、最初にやっていた時と、ここの雰囲気は変わらないんですよね。自分も本当に50年前に戻ったような気がしますね」
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 その後も多くの人を人力車に乗せて運びます。

乗客100人を達成!「頑張ってきてよかった」

 そして、いよいよ運行終了の時間が近づいてきました。ひときわ大きな声でお客さんを送り出します。

 (メンバー)「2名さま出発します」「ご案内!」

 (田村優介さん)「今ちょうど100人目で2名さま来ていただきました」
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 目標にしていた乗客100人を達成することができました。
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 (メンバー)「人力車をひくこと自体なかなかない経験だし、人を乗せるのはもっとないなと思った」
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 (メンバー)「想像していた以上にお客さんが入ってくれて、本当にうれしかったです」
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 (田村優介さん)「大変なところもあったんですけれども、お客さんがすごく喜んでくれて、感謝の言葉もいただいて、すごくやりがいを感じました。頑張ってきてよかったなっていうのは、一番きょうこの瞬間、感じています」

 京都の名物サークルはコロナ禍の危機を乗り越えて受け継がれていきます。