神戸で親子ともに緩和ケア医として患者と向き合ってきた母親の関本雅子さん(74)と息子の剛さん。去年4月、45歳だった剛さんはがんで亡くなりました。緩和ケア医として家族として息子を看取った雅子さんは、その後もクリニックで訪問診療を続けています。

緩和ケア医の親子…肺がんと診断された息子

 【関本剛さんのメッセージビデオ】「本日はお忙しい中、私の葬儀に、若しくはお通夜に参列いただきまして本当に有難うございます」
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 去年8月、神戸市で開かれた関本剛さんのお別れ会。生前に収録したメッセージビデオが会場に流れました。緩和ケア医だった剛さんは、2019年10月に肺がんと診断されました。脳にも転移が見つかり、完治は難しい状態でした。
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 2019年11月にMBSで開催した「第5回ちゃやまちキャンサーフォーラム」で、緩和ケアについてのセッションに登壇したのは、がんと診断されて1か月後。緩和ケアのことを多くの人に知ってもらいたいと体調を整えてステージに立ちました。

 (関本剛さん 2019年)「がんの患者さんは診断される時はかなり大きな病院で診断されて告知されると思うんですけれども、その時に自分のかかりつけ医になり得る、いざとなったら自宅で看取りまで、かかりつけ医はどこまでできるか確認するのがいい」
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 剛さんは小学生のころから医師になると考えていたそうです。大学病院やホスピスで経験を積み、緩和ケア医の草分けである母・雅子さんの後を継ぐ決意は揺らぎませんでした。

 雅子さんが立ち上げた神戸市内のクリニックで外来と訪問診療を一緒に行い、2018年に院長を引き継いだ矢先に病気がわかったのです。
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 (関本雅子さん 2020年)「2019年11月はよく車の中で泣いていました。一人になるとね、どうしてもね…。私の立場は家族の立場なので、剛のおかげでがんの方の家族の気持ちが痛いほどわかりますね」
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 剛さんは亡くなる1か月前まで外来を続け、去年4月、家族に見守られながら自宅で息を引き取りました。

 クリニックは名前を変えて剛さんの高校の先輩が引き継ぎました。雅子さんは顧問として週に3回、外来と訪問診療を続けています。

現在も診療を続ける母・関本雅子さん…緩和ケアを受ける61歳の腎臓がん患者

 診察にやってきた松尾茂樹さん(61)。松尾さんは4年半前に腎臓がんとわかり、手術と抗がん剤治療を続けてきました。今年に入って薬が効かなくなり、5月から緩和ケア中心の治療に切り替えました。

 (松尾茂樹さん)「安心していろんなことをフランクにお話しできる先生に巡り合えて、もう余命をどう過ごすかと言われているんですけれども」

 (関本雅子さん)「息子を見ていて、本当にできるところまで本人がやりたいことをやるのが一番いいんじゃないかなと思ったんです」
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 松尾さんは、剛さんのように病気について全て公表して、最期まで自分の生き方を貫きたいと考えていました。大学のメンバーと集まったり、テニスやゴルフを楽しんだり、残された時間を存分に生きる事にしたのです。
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 今年8月、松尾さんは体調の変化を感じていました。

 (松尾茂樹さん)「ちょっと本当にしんどくなってきたので、たちまち近づいてきているのかなと、自分ではもう一段…。8月になって腹をくくってきたという感じなんですね。家族には言いませんけどね」
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 自分が亡くなった後、お別れの会を計画していることを打ち明けました。

 (松尾茂樹さん)「訃報のお知らせもプライベート用とオフィシャル用と、お別れの会のご案内。自分が元気なうちにできる範囲でやっておいて」

 会場のホテルも決めて、上映するメッセージも収録したそうです。残された人に何かを伝えたいという思いからでした。

 (松尾茂樹さん)「松尾の生き方を忘れないようにしておきたい、みたいなことを言ってくれる人が多くて、うれしい」

剛さんの言葉『たらればは絶対に言わない。これからをどう生きるか』

 今も週2回の訪問診療を続ける雅子さん。忘れられない剛さんの言葉があります。

 (関本雅子さん)「『たられば』は絶対に言わないと。もう少し早く見つかっていたらとか、こまめに検診を受けていたらとか、あとで後悔しても仕方がないことは言わないと言っていましたずっと。これからどう生きるかだからって…。仕方ないですもんね、昔のことを振り返って、こうしていれば良かったと思ったって」
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 今年に入って講演の依頼が増えました。緩和ケア医として遺族として語ります。

 (講演をする雅子さん)「息子が生き方の参考にした言葉です。『人間は他の動物と違ってどんなに肉体が衰えても死ぬ瞬間まで精神的に成長し続けることができる』『良き死は逝くものからの最後の贈り物となる』。この言葉はかなり意識していたんじゃないかなと思います」
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 (関本雅子さん)「(講演活動は)私にとっての『グリーフケア』です。良いところをできるだけ思い出そうと思っているので、楽しかったこととか。つらいところはあまり彼は見せなかったのでね。お話をする中で私自身が落ち着いてくるのかなって」

診察に訪れた松尾さん『安心感がある。相談もできるし』

 8月16日、松尾さんが雅子さんの外来にやってきました。がんが進行し、お腹に溜まった水(腹水)が身体の負担になっています。

 (松尾さん)「昼かなと思ったら夕方で。夕方かなと思ったら夜で…」
   (家族)「体感が全然周りの人と違って…」
 (雅子さん)「寒いでしょ。体重が減ってくる消化器がんの人は寒く感じる」
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 腹水を抜く処置をしながら、雅子さんは今も自宅で暮らす松尾さんに語りかけました。

 (雅子さん)「トイレに行けなくなったら入院って言っていたけど、トイレに行けなくなるということと、亡くなるのがほぼ同時になるかもしれない」
 (松尾さん)「死ぬのは病院でいいと思っています」
 (雅子さん)「トイレに行くのが家で大変な感じになったら、その時点で入院。それでオッケーね」
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 少しずつ近づく別れ。

 (松尾茂樹さん)「腹水を抜いた分、少し楽になったと思っています。安心感はありますよ。何とか相談もできるし。つらいところは何とかしてくれるので」

 松尾さんはこの日から1か月後、亡くなりました。家族は松尾さんの希望通り、お別れの会を12月に神戸で開く予定です。

雅子さん『少しでも剛がお役に立てたのではないかと思う』

 生前にメッセージビデオを残して最期まで自分の生き方を決めてきた松尾さんに、雅子さんは息子の剛さんと重なって見える時がありました。

 (関本雅子さん)「(松尾さんは)最初から気持ちをはっきりと言われたので、こちらもはっきりとお話をしていた。でも彼はいつも希望をもっていた。今週は何しようかなと。カミングアウトしてみんなとしっかりお別れをしながら、でもやりたいことをしっかりぎりぎりまでやっていきたいと思ってくれたのは、少しでも剛がお役に立てたのではないかなと思っています」