大阪・十三で愛されてきたイカ焼きの店「光栄堂」が今年2月に閉店しました。そんな中、店の「おばちゃん」が作るイカ焼きを“敬愛しすぎる”36歳が、なんとレシピを受け継いでお店を開きました。「おばちゃんの味を守る」イカ焼き復活物語です。

十三の人々に愛されてきた「イカ焼き」

 イカがたっぷり入った生地をアツアツの鉄板にのせ、焼きます。待つこと40秒、昔懐かしいイカ焼きの完成です。
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 今年9月、大阪・十三。鉄板の前に立つのは久田和子さん79歳。みんな親しみをこめて「おばちゃん」と呼びます。

 (店の人)「おばちゃん、水。暑いから」
 (久田和子さん)「ありがとう。気が利くわ」

 (お客さん)「おばちゃん、お久しぶりー!うれしい!」
 (お客さん)「めっちゃうれしい、涙出そうやな、ほんまに。復活したなと思って」
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 1970年、和子さんは夫の正次郎さんと十三でお好み焼のお店「光栄堂」を開きました。そこで人気だったのが、イカ焼きでした。安さとおいしさ、何より2人の温かい人柄で十三の人々に愛されてきました。
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 しかし去年、正次郎さんが体調を崩したため、今年2月、53年続いたお店を閉めることにしました。

 (久田和子さん)「楽しいこともみなそこでもう、子育てもあの店1本でやってきたし。なんか泣きそうやったよ、胸いっぱいになって」

子どものころから大好物…十三で生まれ育った36歳が味を受け継ぐ

 そこで、光栄堂のイカ焼きの味を守りたいと手を挙げたのが納(おさめ)隼人さん36歳です。
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 十三で生まれ育った納さん。光栄堂のイカ焼きが大好物でした。

 (納隼人さん)「世の中の人がおばちゃんのイカ焼きのおいしさにまだ気づいていないと思っている」
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 納さんは本業であるジムのトレーナーを続けながら、おばちゃんのレシピを引き継いでイカ焼き店をオープンすることにしました。

 (久田和子さん)「自分の身内でもないのに、そこまで考えてくれてたんやなと。やっぱり小さいときからかわいがってよかったわ」

オープン当日 光栄堂の常連客も来店

 そして9月13日、納さんのお店のオープン当日。

 (納隼人さん)「(Qぎりぎりまで準備している?)はい。当日にテント張ってますから」

 お店の名前は「奄美堂」。おじちゃんとおばちゃんの故郷・奄美大島から名付けました。
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 心配したおばちゃんが手伝いにきてくれました。

 オープン30分前の午前11時30分、開店を待ちきれないお客さんが集まり始めました。営業は正午からのはずが…。

 (お客さんに確認する納さん)「イカ焼き2枚とお好み焼き1枚ですね?」

 (納隼人さん)「(Qもうオープンしている?)もうオープンしてますね。もうやるしかないですね、頑張ります」

 段取りが整わないまま、次々と注文が入ります。

 (納隼人さん)「イカ焼き2枚の人は白衣のお姉さんです。すみませんお待たせしました」
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 かつての常連さんも顔を出します。

 (光栄堂の常連客)「きょうから忙しくなりますね。応援してますので」
 (店の人たち)「ありがとうございます」

 (光栄堂の常連客)「5枚買いました。お家で食べます。今からお昼ご飯です。なじみの味やけど、ちょっと手間取ってたから心配」

 飲食店で働いたことのない納さん、なかなかうまくいきません。

 (久田和子さん)「どれくらい入れてるの?もうちょっと入れて、キャベツだけ」
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 (納隼人さん)「すみません、お好み焼き。めちゃめちゃごめんなさい、遅くなってすみません」
 (お客さん)「遅い」
 (納隼人さん)「申し訳ないです。次から気を付けます」

 やっと落ち着いたのは午後2時。おばちゃんはここまでです。段取りがうまくいかなかったからか、表情のさえない納さん。それを見たおばちゃんは…。

 (久田和子さん)「なでといてあげるから。頑張れ」
 (納隼人さん)「まあなんとかする」
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 夕方、店には子どもたちが集まってきました。納さんは次々と注文をこなします。

 夜になっても客足は途絶えません。納さんも手慣れてきたようです。

 (納隼人さん)「いやー楽しいな、イカ焼き焼くのが」

「みんなに愛される店にしたい」

 午後8時、この日の営業は終了。目標の200枚を上回る、約300枚のイカ焼きを焼ききりました。

 (納隼人さん)「やっぱりみんなに愛される店にしたいですね。(Q何十年ぐらい続けますか?)最低、光栄堂は超えないといけないですよね。その時ぐらいに、昔子どもだった子が『俺が継ぐよ』と言ってくれる人が出たらいいなと思いますね」
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 十三で愛される味をこれからも。納さんの挑戦は始まったばかりです。