難病の筋萎縮性側索硬化症=ALS患者から依頼を受けて薬物を投与し、殺害した罪で医師らが起訴された『ALS嘱託殺人事件』。一連の事件をめぐる初めての裁判が12日はじまった。京都地裁で開かれたのは、元医師の山本直樹被告(45)が母親と別の医師と共謀して、実の父親を殺害したとされる事件だ。

 裁判は無罪主張から始まった。弁護側は「“悪魔のささやき”で殺害計画が進んだが直前に中止された。殺害は別の医師の判断で行われた」と無罪を主張。検察側は精神疾患のある父親を「厄介払いのため殺害した」と共謀性を主張して、3人の生々しいメールのやりとりを初めて公開したのだ。

 起訴状によると、元医師の山本直樹被告(45)は2011年3月、知人の医師・大久保愉一被告(44)と母親の山本淳子被告(78)と共謀して、父親の靖さん(当時77)をなんらかの方法で殺害した罪に問われている。


白髪交じりの短髪にタートルネックの普段着姿で法廷に立った山本直樹被告は、「私は共謀して父を殺害したことはありません」と淡々とした口調で起訴内容を否認した。続く検察側の冒頭陳述。父親の靖さんを「厄介払いのため殺害した」と述べ、3人は殺人の共犯だと主張して、事件の流れを説明していく。

 2011年3月5日。精神疾患のため長野県に入院していた靖さんを、山本被告と母親の淳子被告がウソの理由を告げて退院させ、大久保被告と合流。午後0時ごろ、3人はレンタカーで東京都内のウィークリーマンションへ行くと、同日午後4時ごろまでの間に靖さんが死亡した。午後5時20分には区役所に死亡診断書と火葬許可証を提出、5日後に火葬、その後アフリカで埋葬された。もちろん遺体の司法解剖はなく「遺体なき殺人事件」だ。

 検察側は、病死とは考えられない状況の靖さんが、退院7時間以内に死亡し、知人の医師名義の偽造された死亡診断書を使って火葬許可証を入手しているなど、「綿密に計画された」と主張。その後行われた証拠調べでは、3人のメールのやりとりをはじめて明らかにし、「悪意と殺意が明確」と主張した。

【どうやって処分するかや。なんかアホらしいな。問題は逃げ切れるかどうかや】(山本被告から淳子被告へのメール 2009年11月)

【数十年間介護しっぱなし。全く困ったものだ。一番直樹が耐えきれないだろう】(淳子被告から山本被告へのメール 2010年1月)

【点滴の前にナトリウムぶち込んだらいい。じわじわ死んでいく。もっと簡単な方法は無色透明な液体洗剤でも注入すること。俺老人は早く死んでほしいとマジで感じる。枯れ木に水の老人医療とはよく言ったものだ】(大久保被告から山本被告へのメールを淳子被告に転送 2010年1月)

【いいかげん、あぼーん(ネット用語で削除・消失)しないかね。生きてる価値ないだろ】(山本被告から淳子被告へのメール 2010年8月)

【怪しげな患者の言うままを信じ、(医師が)家族を無視することに憤りを感じる。患者のみならず家族も巻き添え、もっといえば犠牲者。一方的に殴られっぱなしの人生はもう終わりにしたい】(山本被告から大久保被告へのメール 2011年2月:殺害の約半月前)

 さらに検察側は、こうしたメールのやり取りが、靖さんを殺害した後も継続していたとして、3人の共謀性を主張した。

【バケモノ(靖さんとみられる)よ、さらば】(山本被告から淳子被告へのメール 2011年3月:殺害の約半月後)

【福島県で打ち上げでも全然OK。土産話ならぬ記念写真でも持参するわ】(山本被告から大久保被告へのメール 2011年4月:殺害の約1ヵ月半後)

一方、弁護側の主張は異なる。

殺害は「直前に計画中止で終わった」はずだった

 「父親の靖さんには精神疾患があり、社会から逸脱した行動をしてしまうことがあった。入退院を繰り返す父親に直樹被告と母は30年以上、向き合ってきた。そこに大久保被告が現れて『君たちの願いを叶えられる』と。迷いはあったが、この生活が何十年続くのかと考えて、“悪魔のささやき”が舞い降り、計画がすすんだという。しかし、いざ父親を運ぶ際に、母・淳子被告が『やっぱりやめよう、帰ろう』といい、大久保被告に伝えて了承された。これで終わったはずだった。」(弁護側の説明)

さらに続ける。

 「ただ少し、偶然、山本被告と淳子被告がその場を離れたすきに、大久保被告が靖さんを殺害した。大久保被告はかねてから高齢者の延命治療に反対していて、自分の判断で、老人を殺してみたくて実行した。山本被告は殺害の実行行為にかかわらず、その場にもいなかった。『事実は小説より奇なり』と言うが、これが事件の真相だ」と主張したのだった。

そして何度も、裁判員に語り掛けるように、こう言った。

「不確かなことで人を処罰することは許されない。『怪しい』『グレー』では有罪にはできず、疑問が少しでも残れば無罪とするのが刑事裁判のルールです」

 医師によるALS難病患者の嘱託殺人事件は社会的にも大きく注目された。その捜査の過程で発覚した10年前の「親殺し事件」。この後の公判には、靖さんの当時の主治医や淳子被告が出廷することになっていて、直接証拠のない「遺体なき殺人」は、今後どのように審理されていくのだろうか。